「河内国陵墓図記」の制作は、天保12年2月2日よりかかり、ほぼ50日で完成し、
3月25日に師伴信友に贈っている。後に伴先生は末尾に伴林六郎の名を記し宮内庁に
届けられた。
鈴木純孝著『伴林光平の研究』で「陵墓十七図」のことを、写生図の余白を利用する形で、目録の順序に、陵墓名、被葬者
所在地、形状、広さ、周囲の状況等の規模と各陵の説明をしているもので詳細というほどでもない」と記されている。
巡陵その後
山陵との関わりは、天保12年の調査に始まって文久3年8月初旬まで22年間の間、続けられた。
詠んだ歌「わが霊はなほ世にしげる御陵(みささぎ)の小笹分けつつ行かむとぞ思ふ」